マレーシアにいる子供と夫にいつでも会いに行けるようにとインドネシアを赴任先に選んだつもりでしたが、コロナで行き来できなくなってしまい、長男、娘と夫と犬たちに会うのに2年半かかりました。私もつらかったけど、子供たちも大変でした。
入国できるかマレーシア
2022年7月にジャカルタからマレーシアのクアラルンプールに行ってきました。マイスジャトラというアプリを入れて、3回接種済みというデジタル証を貰わなくてはならないのですが、パスポートは姓と名の順で書かれ、インドネシアで受けた証書には名から姓の順にかかれているため、QR認証してもらえず手入力、これに時間がかかり結局到着して2週間くらいでやっと承認されました。このため、入国できるかドキドキしつつ印刷した証書と、念のためフライトの当日抗原検査も受けて検査結果を持参しました。何とか入国できた時にはやったー!と思いましたが、職場での承認から入国までいろいろ手続きが大変すぎて、ちょっともう海外旅行はしばらくはいいわ、と思うほどでした。
はじける次男に驚く
甘ったれだった上の子供たち(双子19歳)は、すっかり家を守る一員となり、車いすのお父さんを助けたり、家事を手伝ったりと頼もしい存在になっていました。とはいえ一番驚いたのが、次男の変貌! それまで決して関係が悪かったわけではありませんが、親との会話は最低限で大体いつもむっつり、友達とオンラインであそぶのが楽しくて仕方がなくいつも自室にこもっていました。16-7歳の男の子なんてこんなもんじゃろと思っていたのですが、お兄ちゃんお姉ちゃんといっしょで相当うれしかったらしく、はしゃぎにはしゃぎ、大嫌いだったショッピングに喜んで同行し、一緒に歌ったり踊ったりまでし、別人と化したのでした。上の子供たちは離れ離れになったときにはもう17歳だったけど、下は確かに15歳でした。兄弟が別々になるには少し早い時期でかわいそうだったなーとあらためて思ったのでした。
やせ細る財布
2年半も入国できなければ、銀行口座は凍結、運転免許は失効、といろいろ大変でしたが、何とか挽回しつつ、子供たちの憧れ、日本食のブッフェだのしゃぶしゃぶのブッフェだのホテルブッフェだの散々ブッフェに連れまわされました。マレーシアは驚異的に物価も上がっていましたが、いろんなものが洗練され、おしゃれに便利になっていました。英語も普通に通じます、ああ、うれしい。子供たちはここぞとばかり、たかって来るしこちらも2年半もかわいそうだったなあと思うので、大盤振る舞い、3週間の予定だったので、それならいいやと思っていました。ところがどっこい、上の子供たちは、ジャカルタについてきたのでした。大盤振る舞いするんじゃなかった、と思っても後の祭り、あと2週間財布やせ細り事業が続きました。
次男大活躍
上の子供たちがジャカルタについてからは、平日は私も仕事があって遊んでやれないので、ジムに行ったりショッピングや映画を見に行ったりしていましたが、タクシーを呼ぶのも案内するのも次男の役目です。もともとまじめな次男、一生懸命に兄姉を先導して世話を見てました。もとから割合仲の良い3人兄弟ですが、大きくなるにつれ、自分の仲間や世界ができていく中で、また3人が引っ付いて行動する不思議な2週間となりました。2年半ぶりに会えた子供たちでしたが、その中で一番驚かされたのは一緒に住んでいる次男なのでした。
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