南国育ちに雪もろくろく見たことのない子供たちに、日本の美しい雪景色や、雪山を見せること、雪の中を歩くこと、スキーを体験させることは私の夢でした。でもスキーは無理やりやらせても途中で挫折しそうでなかなか決心がつかないでいたら、子供の方からスキーを試してみたい、と言い出したのでこれはもう一発奮起、で12月でも雪のありそうな北海道を予約して2022年末にいってきました。
ニセコは国際リゾートだったのか。。。
若いときはよく北海道にもスキーに行っていたものの、それは30年以上も前の話で、場所は千歳から行きやすそうなところでニセコを簡単に選んでしまいましたが、これがちょっと間違いだったような気がします。まずやたら人気で、年末のスキー教室はすべていっぱい、仕方がないから英語で学ぶスキースクールを予約し一番安いペンションを予約し、関空からのLCCピーチエアを予約しました。板も服もリフト券もすべてオンラインで予約していきました。
行く前の準備
長男はマレーシアからでシンガポールの乗り換え地で合流、長女は岡山から高速バスで実家のある関西で合流、全員の旅程調整から大変で何か抜けがないかとドキドキでした。大阪で、用意しろと書かれていたゴーグル、滑らない運動靴など購入、手袋やマフラーなど購入しました。子供3人と私の分含めて4人分なのでここですでにけっこうな出費です、気分を奮い立たせてさあ出発。が、飛行機はいきなり千歳空港は天候不順で戻る可能性ありとの放送が…。普通ならそういうこともあるじゃろと落ち着いていられますが、今回はそうなると、明日予定しているスキースクールはどうなるの? 服や板や宿の予約は?!と気持ちは不安でいっぱい、というか損したくない、あんなに払ったのに、という気持ちでいっぱい、明るい気持ちに暗雲が垂れ込めました。
ニセコへのバスと宿
幸いにも私たちのフライトは無事に千歳に到着し、雪景色の空港に気分は高まります。ニセコへは観光客用ではない通常運用のバスに乗れば全然安いのでそちらにして、窓辺の雪景色を楽しみながらどんどんと標高高く昇っていきました。ペンションは一部屋なのに一人頭で計算する、そして年末なのでめっちゃ高かったのですが、もっと安いところがない上に、ゴンドラに歩いて行けてローソン近く、わからないことをオーナーにきけるなどあり、選択の余地なく選びました。ついたらそこは外国かというくらい、もう歩いている人々も店でモノを売っている人も外人、そして異様に高いレストランの値段、、、結局食事はほぼローソンとなりました。宿にキッチン共有部分があったのが大助かりとなりました。
ニセコひらふでスキー
ニセコひらふのスキーレンタルとスクールがある場所は、何やら日本人用と外国人用の場所が分かれていて、うちの場合は日本語のスクールに入り損ねた(1か月に前にすでに満席!)ので、すべてが英語ベースのレンタルやとスクールに配置されてしまい、本当に周りのお客さんはすべて外人で、外国暮らしの我々もたじたじとなりました。インフォメーションでも日本語は通じません。一番情けなかったのはスクールのイギリス人の先生の英語が何言ってるか全然わからなかったことです。他の人の英語はわかるのになぜかその人の英語が全然わからず、いちいち子供に今なんて言ったのと聞くので、冷たい目で見られることになりました、とほほ。
私も子供と一緒に初めてスキーコースに入ったのですが、30年ぶりとはいってもすぐに勘を取り戻し滑れるようになってしまい、もう傾斜を歩いて登るのがつらくてつらくてという状況になってしまい、たくさんのオーストラリア人の多くが子供を学校に預けて、両親は楽しく滑っているのを見て、くく―その手があったかと後悔したのでした。うちの子供たちは当然ながら苦労して、1日たってもボーゲンで曲がるところまで行かず、母としてはこれで何のためにリフト券用意したん!とまた文句が出てきたのでした。仕方ないので、次の日も特訓、だんだん嫌になってゴンドラにのせてしまったらやはり滑れるはずがなく、歩いて降りる羽目に。。。子供たちはもうすっかり嫌になりかけていましたが、行く前にどれだけの金額を払ったか、絶対脱落はできないことをこんこんと言い聞かせてあったので超文句を言いつつも、4日間がんばりぬきました。おかげで何とか、ボーゲンで左右に曲がれるようになり、リフトに乗って降りてこれるようになりました。もともとスケートもできた娘は中上級者コースも難なく滑れるようになりました。
スキースクールはコーチのほとんどがオーストラリア人、習う大人はほとんどが中華系、子供のスクール参加者はオーストラリア人がほとんどで2歳くらいから10歳くらいまでの子供があちこちで並んで滑っていて、アヒルの行列のようなかわいい風景が繰り広げられていました。親は一日子どもを預けて滑るようで、スクールはスキー練習兼デイケア、1-2歳の子まで預けられてそりで滑ったりしていました。大人はかなり年配の夫婦もスキーをしている人も多く、面白い風景でした。コーチも小さい子供をひとりでリフトに乗せるのは怖かったようで、頼まれて、何度も小さなオーストラリア人の子供と二人でリフトに乗る羽目になりましたが、京都や東京も行ったとか、ラーメンおいしいとかいうのを聞いて、日本の観光業界もすっかり回復しつつあるのだなーと思ったものでした。
ニセコのパウダースノーは本当に良い質で、毎年来ている人の気持ちもわかりましたが、アジアの人もオーストラリアの人も何度もきているという人が多く、有名な寿司屋も長蛇の列、すごいなーそのパワーと財力、と思わずにはいられませんでした。クリスマスから正月の利用で、最も混む時期だったと思いますが、ゴンドラやリフトは高速で最新の設備のものが多く運行されているので待ち時間は長くなく、快適に滑ることができました。
ニセコから札幌へ
ニセコでは5泊して、その後札幌で2泊しました。どこに行きたいか聞くと、全員が白い恋人パーク、地下鉄で向かいました。数年前と同じくまたでかいハートのクッキーを作ってご満悦。ニセコの前後は民泊(AIRBNB)に泊まっていたので、安いものの入室に関するやり取りなど少し面倒で、今回の旅行の調整業務は本当に大変でした。予約と確認と実施をどんどんこなしていく中で、危ないスポーツなので子供を保険にいれたり、天候の不安を抱えていたりなかなかに難しいアレンジをつつづけましたが、無事に関空についた時には本当にほっとしました。(実は宿でもスキー場でも手に包帯をぐるぐる巻かれている人をけっこう見てびびってました)。
というわけで、上の子供たちも20才になって、日本人であるからには一度は!と思っていた雪山とスキーを経験させることができて、もう親としてはこれで大学教育終わればもういいかなー、という気分になってきました。自己満足です。
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