マレーシア人とのハーフの子供たちは、マレーシア生まれのマレーシア育ちです。日本語は日常会話ならしゃべる程度のところに、まさかのコロナによる日本待機で次男は一年間中三生になりました。
義務教育年齢
インドネシアへの赴任を前に待機していたらコロナの感染爆発でそれが伸びたので、役所に住民届けに行ったら次男は義務教育年齢なので学校に行かねばならないと言われ、親子で愕然としました。それも時は4月、ちょうど新学年が(感染防止のための)登校禁止が解けて徐々にはじまる時期でした。その時次男はIGCSEというイギリス式の国際試験の勉強を始めて3カ月、というところで一刻も早く赴任してその勉強を続けたい、こちらは続けさせてやりたい、と思っていたのですが赴任の見込みはつきそうになく、とりあえず地元の中学校に行ってみました。
コロナ下の受験生たちと
先生方もコロナという前代未聞の困難にさらされている中の受験生を受け持っている上に、ろくに日本語の読み書きもできない子供が入ってきてさぞ迷惑だったろうと同情しましたが、さすがは義務教育年齢、すぐに登校開始となりました。次男にとっては下駄箱で靴を履き替えるところからもう戸惑いの連続で、朝のホームルームから、起立・礼の掛け声から、給食を教室内で食べること、掃除当番もすべてが初めてのことでまさにすべてが新しい世界でした。数日おきの生徒数半分での授業が始まったときにはクラス内で先生による個別のサポートがあったようですが、その後の通常授業が始まるとそうもいかなくなり、次男はさっぱり理解できない授業をひとりで受けることになりました。家では兄姉と母である私とは日本語で話していたので、もう少しわかるかと思いきや、最初の内はホームルームでもほとんど意味が分からなかったそうです。授業は特に国語と社会は完全にお手上げで、座っているだけ、数学は何とかついていくことができ、英語は簡単すぎるものの返って日本語の勉強になったとのことでした。
親もすっかり中高での過ごし方を忘れており、子供にボールペン使用がだめだったと言われ、えー、そうだっけ、鉛筆だったかなーとあらためて鉛筆を持たせていたら、妹に中高生はシャーペンやで、といわれ「そうだった!」と。。。子供もセカンダリからボールペンだったので、シャーペンを持ったことがなく、なんだこのメカニカルペンスルは、とかいってましたが、他の子と同じものを持ててうれしかったらしく、芯を入れる練習とかノックの練習をしていました。何やら30年前と比べると性能もよくなってて驚きました。
個別サポートのおかげで卒業
希望していった学校ではないし、いやいや通っていたのですぐに行かなくなるだろうと思っていましたが意外や意外、ろくに友達もできないままに一年通い切りました。担任の先生の手厚いサポートとクラスメートの理解も大きかったのですが、何よりも通学のための大きな動機となったのは国語を中心とした個別の抜出授業が週4時間あったことです。クラスではほとんど口をきかない次男も個別授業であれば話さないわけにもいかず、また先生に慣れるにつれて自分からかなり話すようになったようです。この個別授業の先生は外部から次男のために来てくれる方だったので、自分が休むわけにはいかないという責任感もあったようです。また、3年なのでテストが多かったのですが、問題にフリガナをつけて時間を少し延長する、試験会場は別室にする、というような高校入試での配慮が必要な生徒のためのアレンジをそのまま踏襲していただいていました。
成績はもちろんボロボロでしたが、一日も休むことなく通い切り、運動会や遠足にも参加しました。私にすれば上の二人に比べれば甘ったれのわがままな子供だと認識していたのでこれはかなりの驚きでした。
つらかったこと、うれしかったこと
とはいえ、子供も私がいろいろ聞いてもぶっきらぼうに、べつに、とか言われることが多くそんなに話せてもいないのですが。徐々に理解できるようになってきた授業やホームルームで、先生や生徒が冗談を言って笑いあう、というのが最も理解できずつらかったとのことでした。冗談は通常早口になることが多いし、時事の話題が入っていたりするので余計に分からなかったのでしょう。例えば、「アナ雪」と言われても「Frozen」として英語での映画を見に行ってはいるのですが何のことやらわからないのです。また、人の言っていることが分かっても、自分には全然面白くなく、センスが違うのだ、と言ってましたがきっと何かを理解できてなかったり誤解してたりするんだろうなあと思います。一方で先生方が気を使ってくれて、英語でのプレゼンの機会を作ってくれたりし、ほめてもらって単純にうれしかったようです。万が一高校への進学もあり得るかもと英検準一級も取りましたが、中3としてはかなり高い英語レベルなので大自慢でした(英語が第一言語なんだから当たり前すぎますが)。
その後
卒業後すぐにインドネシアに赴任し再びイギリス系のインターに通っていますが、大きく後れを取ってしまったので1年遅らせて入学しました。それでもほかの子よりも一学期分遅れてしまい来年の試験に向けて必死で遅れを取り戻そうと勉強しています。勉強のレベルも以前の学校よりも高いようで、苦戦していますが、どんなにつらくても言われてることもわからないような日本の学校と比べると天国のようなものだから頑張れる、ということでした。そんなに地獄だったんですね、よく頑張りました、根性つきました。
次男は思春期に入る前からインターに入学し、友人たちと交わる中で目がヨーロッパの方にしか向いてなかったのですが、今回の日本の経験で、日本って進んでるし先生たちも熱心でいい国だね、とか日本の大学もいいかもね、というようになりました。日本の大学で学びつつ日本語力をつけたいと考えているようです。日本人母としてはうれしい限りです。ところが、世界ランキングではいまいちな日本の大学、次男はOMG!を連発しつつやっぱイギリスかな、と目移りしつつある今日この頃です。エラそうなことばっか言ってますが成績は小さい時からずっと中の中、とりあえずの国際試験合格してください。
小さいころ、「ぼくはミソスープが大好きだよ、だってぼく、ジャパニーズボーイだからね」と言っていたのが懐かしい。。。
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