マレーシア人とのハーフの3人の子供は全員が生まれも育ちもマレーシアです。第一言語が日本語にならないのはしかないけど、日本語で会話したくて私は日本語で育てました。
第一言語は英語
マレーシアでは少し珍しいですが、夫は祖先がポルトガル系で人種はユーラシアン、第一言語は英語です。そこで子供たちの第一言語は英語、第二がマレー語か日本語か微妙、のような感じで育ちました。マレーシアの学校は英語とマレー語をパラレルで教えるので、読み書きはそれなりにできるようにはなってもマレー語はあくまでも学校で習うだけの言語で、普段はあまり使いません。
日本語の成長
マザータンというだけあり、母親が日本語でいつも話しかけることにより、また日本語の幼児番組など優れているのでそれをいつも見ているうちに日本語を話すようになりました。上の双子は2歳まで育て、そのあと義理の母に見てもらって仕事を始めたので、日本語と英語が同じように入力されていく感じでしたが、もともと言葉が遅いと言われる双子の上多言語で育ち、話し始めたのは3歳くらいでした。2歳離れた次男は完全に義理の母に任せきりとなってしまいましたが、双子の効果でまず日本語から話はじめ家族で驚きました。
兄弟3人で話すときには基本的に日本語で話す子供たちですが、私がフルタイムで働いており週末は子供たちとゆっくり過ごしたいと思っていたことから、読み書きの勉強などは特にしませんでした。少し大きくなってから、誘ってもらって日本語教室にいったりし、かなとごく簡単な漢字はわかるようになりました。
面白かった造語
3人の内では変な造語が色々話されていましたが、面白かったのは「もー、こわりんぼなんだから―」でした。怒りんぼとこわがりが混じってしまってましたが、それはおかしいといってもおかしくない、と言い返され参りました。また、英語がそのまま日本語になってしまうので、「もう、ばっかりぼくなんだから」と言ってしまったり、セカンドラストのような言葉がそのまま「二番さいご」になっていました。他に読み書きはかなり後になったので、「自分」を「ちぶん」だと思い込んでいたり、かなり大きくなっても「おてて」「おかお」などといっており、これはやばい、というようなこともありました。
それからボールで遊んでいた時に子供たちがまりつきをしながら「トイントイントイン」というのを聞いて、やっぱり日本人じゃないな、と思ったのを覚えています。
そして現在
今上の男女の双子は18歳、マレーシアで進学し父親と住んでいますが、二人での会話は日本語、わたしとのSNSのやり取りも日本語です。ただ日本の大学を目指している娘はかなり漢字もできますが、長男とはほぼひらがなです。
ジャカルタで一緒に住んでいる次男は、コロナで日本に待機していた1年間、義務教育年齢だったため、そんな日本語力のまま中学3年生になってしまい、わけのわからない授業を聞ききつつも、結構日本語力が伸びてありがたかったです。ただ敬語がほとんど話せないために、他の人に話しかけることができなかったようで、そこはかわいそうでした。公立の中学校でしたが、国語の抜き出し授業なども行ってもらい、その個別指導のために何とか毎日休むことなく通いました。
今日も子供たちとオンラインでつないで話しました。国際結婚では夫に気を使って、とかアイデンティティの確立のために、と日本語では育てない人もけっこういますが、マレーシアでは家庭内でさえも例えば中国語と英語とか話されているのも普通で、学校に上がるとそこにマレー語が入って来るので、同じようなものだと思って私からは日本語のみにしました。まあ、私が英語もそんなにうまくないし英語で育てることに自信がなかったのもありますが…。
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